未だ見ぬ人々や古の風景を求めて

  • 中山修一記念館中山修一記念館
    長岡京発掘に生涯をささげた中山修一氏の旧宅を改装した記念館。ガイドの説明を聞くことができます
  • 長岡京市埋蔵文化財調査センター長岡京市埋蔵文化財調査センター
    展示スペースでは、埋蔵文化財を通して、長岡京市の歴史を身近に感じることができます
  • nowprinting勝竜寺城公園展示室
    勝龍寺城に関する文化財などの展示や 永青文庫所蔵の、ガラシャと細川忠興ゆかり の品々を写真でパネル展示しています
  • nowprinting恵解山古墳
    国指定の史跡で全長は乙訓地域最大。
    平成26年10月に史跡公園としてオープンしました。
  • nowprinting西山公園グリーンハウス
    植物に関する著書やレクチャールーム・展示コーナーなどがあります。

 

未だ見ぬ人々や古の風景を求めて

長岡京市にゆかりのある人物を紹介します。

  • 中山 修一中山 修一(なかやましゅういち) 
    1915〜1997
    長岡京を「幻の都」から「現(うつつ)の都」へ証明するために生涯を捧げた日本のシュリーマン。
    ゆかりの地:中山修一記念館
  • 継体天皇継体天皇(けいたいてんのう) 
    古墳時代
    第26代天皇、弟国宮は今里井ノ内にあったといわれている。
  • nowprinting桓武天皇(かんむてんのう) 
    737〜806
    第50代桓武天皇は、平城京から「水陸ノ便ナルヲモッテ都ヲコノ邑ニ 還ス」と長岡京へ都を移されました。
    しかし都は再び平安京へ移され、 長岡京は10年の短命の都で終わります。
  • 弘法大師空海弘法大師空海(こうぼうだいしくうかい) 
    774〜835
    弘法大師空海は、真言宗の開祖。
    遣唐使に加えられ中国で密教を学び帰朝すると、 乙訓寺別当として在住し最澄と会談しました。
    また勝龍寺を創建したり、柳谷観音(楊谷寺)の 「独鈷水(おこうずい)」を掘ったとも伝わります。
    ゆかりの地:乙訓寺勝龍寺柳谷観音(楊谷寺)
  • nowprinting早良親王(さわらしんのう) 
    750〜785
    桓武天皇の実弟で、皇太子であったが、延暦4年(785年)藤原種継が暗殺される
    事件があり、その一味と交流のあった早良親王は乙訓寺に監禁された。
    親王は身の 潔白を示すため断食されたが、10余日後、流罪処分となり淡路島に護送途中、 淀川べりで絶命された。
    ゆかりの地:乙訓寺
  • 細川ガラシャ細川ガラシャ(玉) 
    1563〜1600
    明智光秀の娘で、16歳の時に坂本城より、勝(青)龍寺城主細川藤孝の息子忠興に嫁ぎ、
    勝龍寺城で二年間幸福な新婚時代を過ごしました。天正10年の本能寺の変により丹後味土野の 山里に幽閉されるなど、苦難の生活の中で、心の平安を求めてキリスト教を信仰にめざめ、 洗礼を受け「細川ガラシャ」となります。運命に翻弄されつつも信念を貫き、 38歳で悲劇的な最後を遂げました。
    ゆかりの地:勝竜寺城公園
  • nowprinting明智 光秀
    1526?〜1582
    織田信長の重臣であり、本能寺の変を起こした事で有名。
    勤勉で、誠実、知将であるとともに茶会や連歌会を催すなど教養の高い文化人でもあった。
    ゆかりの地:勝竜寺城公園
  • nowprinting細川 幽斎 
    1534〜1610
    戦国の乱世を優れた先見の明と才知で生き延び、近世細川家の祖と なりました。
    古今伝授の伝承者でもあり、文武両道で当代随一の 文化人でした。八条宮智仁親王が幽斎から古今伝授を受けた建物が 長岡天満宮境内に移築され開田御茶屋と呼ばれました。今は熊本の 水前寺公園に移築されていますが、「古今伝授ゆかりの地」として長岡天満宮に石碑が建立されています。
    ゆかりの地:勝竜寺城公園長岡天満宮
  • 細川 忠興細川 忠興 
    1563〜1646
    父・幽斎と同じく優れた教養人・文化人であり、戦上手としても知られた 文武両道の武将でした。
    千利休の高弟・利休七哲の一人とされる茶人でもあり、 和歌や芸術方面に才能を発揮し、
    武具のデザイナーとしても有名でした。
    ゆかりの地:勝竜寺城公園
  • 菅原 道真菅原 道真 
    845〜903
    忠臣として名高く、醍醐朝では右大臣にまで昇りましたが、左大臣藤原時平の 企みにより、大宰府へ左遷されました。
    死後天変地異が多発したことから、 朝廷に祟りをなしたとされ、天満天神として信仰の対象となりました。
    現在は学問の神として親しまれています。
    ゆかりの地:長岡天満宮