乙訓地方最大で山城地方では3番目の規模を誇る前方後円墳で 全長約130m、周囲に幅約30mの周豪が造られていました。
昭和56(1981)年に国の史跡に指定されました。
平成26年10月に史跡公園としてオープンしました。
その他 : トイレなし
- 所在地:長岡京市勝竜寺30
- 交 通:JR長岡京駅から1.6km 徒歩20分
「久貝」バス停 徒歩5分
年 代
造られたのは古墳時代中期、今から約1600年前頃。権力の象徴として巨大な古墳が造られた時代です。
形 状
全長128m、後円部の直径78m。前方部の幅76mの前方後円墳。墳丘の傾斜面 に石が葺かれ、段丘には埴輪が並べられていました。
埋葬品
後円部に遺体を埋葬した石室があり、管玉が出土しています。前方部では昭和55 年の発掘調査で、約700点の鉄製武具類が発見されました。このことから当時の乙訓地方を支配する首長の墓と見られています。他に、鉄製農耕具や土師器の小壺 円筒、朝顔形、壺形、水鳥形の埴輪などが見つかっています。
最新の発見
最近の発掘により、古墳の盛土を下に落とし込んだ形跡がみつかりました。 戦国時代の土器や火縄銃の玉の出土などから、明智光秀が山崎の合戦の折り本陣として使ったのではないかという説も生まれています。